もしも世界が「マイナス×マイナス=マイナス」だったら
 
 
今回の教室は「マイナスの数」についてです!
 
 
● −2×(−3)=6
● −8×(−5)=40
 
皆さんは「マイナス×マイナスがどうしてプラスになるのか」すとんと腑に落ちているでしょうか?
 
フェルマータを始めて以来、色々な場面でこの話題を口にされている方にお会いすることがあり、この“計算ルール”がどうもしっくり来なくて、分かったような分かっていないようなモヤモヤが、どこかで引っ掛かりになっていた(そしてそのまま大人になって今も生きている。笑)という話をよく伺いました。
 
 
そこで今回は、この「マイナスの世界のからくり」とでも言うべきようなものを、一緒に解き明かしていきたいと思います!
 
 
 
◇ 教室の内容 ◇

 「マイナスの数」との出会い
日常生活の中にある「マイナス」を考えていきます。すでに負の数の勉強をした人はもちろん、初めてという人も、ここで“再会”をしましょう。また、「0より小さいって、何も無いより小さいってこと?」「何も無いより小さいってどういうことだ…?」」そんな疑問から「0」の意味についても少し考えてみたいと思います。
 
 
 計算(+、−、×、÷)と数の拡張
1, 2, 3, 4, …といった自然数から出発して、足し算・引き算・掛け算・割り算(四則演算)が自由にできるためには、どのような数が必要になるかを考えていきます。
 
自然数、分数、小数、そして負の数といった、これまで学んできた色々な数の全体を、新しい視点から整理して見ることが出来るようになります。
 
 
 色々な計算と数直線上の動き
模造紙で作った大きな「巻物の数直線」を教室に広げ、その上を自分自身が実際に移動しながら、色々な計算がどのような「動き」を含んでいるのかを体感していきます。
 
この中で、特に「+」と「×」の“速さ”の違いや、マイナスの数になった時の“運動”の違いに注目したいと思います。(「+は方向転換(ターン)」なのに対して「×は回転」になります。)ちなみに「掛け算は回転」という感覚は、やがて数学や科学の中心に躍り出てくる「虚数(i)」にもつながっていきます。
 
 
 もしも世界が「マイナス×マイナス=マイナス」だったら…
「マイナスの数を掛ける」というのは、日常生活の中ではちょっとよく分からないこと。もちろん素朴な生活感覚はとても大切なものですが、その一方で、そこに縛られていては私たちの“狭い現実感覚”に閉じこめられてもしまいます。
 
「数直線の移動ワーク」を踏まえた上で、最後に具体的な数での計算実験を色々とやってみて、「マイナス×マイナスはプラスだ!」「そうじゃないなんてあり得ない!」というところまでいきます。
 
 
 
皆さまのご参加を、お待ちしております!
ぜひお友達などとも一緒に、お越しください(^^)
 
 
◇ 開催概要 ◇

【対象】 中学生(& 意欲ある小学生)
【日程】 2016年10月22日(土)13:30~
         10月23日(日)10:00〜  /  13:30~
        ※ 2時間ほどを予定。ご都合の良い回をお選び下さい。
        ※ 平日の通常クラスや、他の日程(3名以上で開催)でも行いますので、お気軽にご相談下さい。
【料金】 ¥3,000
【持ち物】筆記具のみ
【場所】 未来の学校フェルマータ(上田市中央北1-5-12 ※駐車場あり)
        ※ 上田駅(お城口)から徒歩20分
        ※ 市内&近郊より路線バスあり(「新田」または「北上田」下車、徒歩1分)
【申し込み・問い合わせ】
     info★fermata.link(★を@に変えてください)
     070-6994-6177(清水)
 
 
 
◇ マイナス×マイナスから広がるちょっと深い話 ◇

普通、中学に入って最初に学ぶ「負の数」とその計算ですが、実はここには、単に「負の数を含めた計算が出来るようになる」ということにとどまらない、とても興味深いことが含まれています。
 
数学、そしてもっと広く科学や思想といったものは、ありとあらゆる事柄が、その内部で矛盾が生じないように作り上げられているということの一端に、肌感覚をもって触れる体験になるのです!
 
 
この「内部で」というのが、実はとても大きな意味を持ってくるのだと思うのですが、… 
(「内部で」ということは「その外側がある」ということです。僕たちは「小さな箱の中にいる」と言ってもいいですね。)
 
「1つの論理的な世界の内側で矛盾が起こらない」というのは、簡単に言えば、何がどうなっても「辻褄が合う」ということです。右から来ても、左から来ても、上へ行っても、下へ行っても、斜め左上へだろうが、斜め右下からだろうが、おかしなことにならない。ならないようにしなければいけない。そう、それは感覚としては、すべてのピースがぴったりはまる“パズル”のようなものと言えるかもしれません。
 
実は「マイナス×マイナス」の計算について考えてみることは、正解のある一行問題に答えて、ただ「◯か×か」というだけではなく、LEGOのように“パズル”を立体的に組み上げていって、自分で数学(あるいは1つの世界)をつくっていくということなのです!
 
 
そこに触れることが、本当の意味での「基礎」を掴むということだと思います。基本と基礎の違い。数学の表面に現れているものだけでなく、数学の構造的なものを見る眼を得る。ひいてはこの世界や人生を違うレベル(次元)で見られるようになるということですね。
 
物事を理解し体得するために、反復的な練習は欠かせません。しかし、表面的に「マイナス×マイナス=プラス」と覚えて、ただ計算演習をこなすだけでは入っていけない、本当の学力や人間的な知性に関わる領域があるということです。
 
 
少し話が硬くなってしまいましたが、まずは、“パズル”がちゃんとはまるように、自分で論理を組み上げる小さな体験をしてみる。そして、「そうか、数学はそんな風になっているんだ」ということが朧げにでも感じられれば、しめたものです!
 
そこは、世界を見る眼にかかわる「螺旋」の出発点になるわけです。
 
 
 
人が学び育つ(あるいは人を教え育てる)ということには、3つのレベル(次元)があると思います。
 
・知識を得る
・構造を見るようになる
・創造を行うようになる
 
下へ行くにつれて(絵にするなら逆にすべきところですが。笑)、深く本質的な領域へと向かっていきます。
 
 
 
先ほど少し「箱」の話が出ましたが、様々なサイズ(大きさ)やレベル(次元)での論理が、輻輳的に重なりあって、僕たちの世界を形づくっています。
 
端的に言えば、勉強をすることで、この“現実”を形づくっている大小さまざまな科学や論理を「扱うことのできる眼」を育てていくことが大切なのではないかと思っているのです。
 
ごく一部の人が勉強するような専門的なところで(たとえば科学哲学や論理学など)ではなく、全国で、そして世界で、皆がごく当たり前に(選択の余地なくということでもありますが…笑)中学や高校などで数学を勉強するように、普通の数学を学びながら、ごく自然体で。
 
 
 
もちろん、数学を学ばなければここで言う「世界を見る眼」は育たないということではありません。僕自身がそうでありつづけてきたように、勉強などとは無縁に、「構造」は感覚的に捉えることができるものです。人には本来そういう精神(明晰さ)が備わっているのだと思います。ただし、数学などを通じてそれを具体的に体感していくことは、その眠れる感覚を呼び起こしたり、その感覚に明確な理解と言葉を与えてくれるものになり得るということです。
 
 
何のために勉強をするのか。それは小さな“現実”に奉仕する(そしてそれを無意識に強化する)ためではなく、人が育つためではないでしょうか。そして、それにより世界が美しくあるためではないでしょうか。それを考えれば、例えば数学などをやりながらでも、ただ知識を得るだけではない何かを獲得していけたら、素晴らしいと思うのです(^^)
 
 
「−2×(−3)=6」の中にも、たくさんのことがありますね(笑)